子育てコラム(38)「『おもてなし』という生き方」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

  他の「子育てコラム」はこちらから

なお、ポイント会員登録により、
最新コラムを掲載したメールマガジンを配信させていただきます。

   モバイルポイント会員「b-Happyフレンズ」大募集中!

2018年10月

b-Cafe店主カワムラです。

もう先月の話になるのですが、
今年も近隣の中学校の2年生女子二人が、
職場体験学習として、
3日間ほどb-Cafeに通って来ていました。

職場体験学習は、b-Cafe創業当初からほぼ毎年続いています。
最初に中学生たちが来てくれたときは、
ウチの上の子は保育園の年長さん。

ウチの子もそのうちこうやって
どこかの職場に体験に行くのかなあ、
と思っていたら、あれよあれよという間に彼も中2、
何でそうなったのかぜんぜんわからないのだけれど、
法律事務所にお世話になったようです。

職場体験に来てくれた子たちには毎回、
「おもてなしの仕事」をしっかり経験してもらえるよう
心がけています。

初日には、
3日間b-Cafeで働いてもらうスタッフとしての
心得を伝えています。

ここは、子育て中のママたちに、
ほっとひと息ついてもらうための場所であるということ。
だから快適に過ごしていただいて、
リフレッシュして帰ってもらいたいということ。

そのために、先ずは、
お客さまに常に見られているのだ
ということを意識して、
身だしなみや態度を意識すること。

そして、お客さまをよく見ること。
お客さまが困っていたり何かを
希望しているのに気付いたら、
自発的にできることを考えて行動に移すこと。

そのことを踏まえながら3日間を過ごしてもらい、
最終日には、「おもてなし」というのは実は、
お店の中だけのことなのではなく、
ふだんの暮らしの中でも大切なことなのだよ、
という話をしています。

日常生活の中でも、周囲の人たちのことをよく見て、
どうすればその人たちが
楽しく快適に過ごせるかを考えてみよう、
というようなことです。

けれど、今年になって、その話をする前に、
それだけでいいのかな?と引っ掛かってしまいました。
周りの人たちが気持ちよく過ごせるように
気遣いができることは確かに大切だけど、
全力で空気を読んで相手に合わせるだけでは、
「こび、へつらい」と変わらないないんじゃないか、と。

それじゃあ相手が楽しくても
自分は楽しくないよなあ、って。

そこで思い当たったのが「主体性」ということです。
たとえば、ある店があって、
その中でスタッフが思いや工夫を注いだ空間を作り上げ、
そこにお客さまを招き入れる。
招き入れたお客さまにはもちろん、
心を込めて対応するのだけれど、
それ以前に、こちらの「こんなことをしたい」
という思いがしっかりとある。

茶道だと、招く側の「亭主」が、
季節や時々の趣向を取り入れ、
それを料理を始め器や道具、花や掛け軸等空間全体を
プロデュースした茶席に客を招きます。
客はその趣向を味わい楽しむわけです。

まずはこちらが「もてなす」ことを楽しみ、
その中でお客さまに楽しんでもらえることを願う、
というのが「おもてなし」なのではないかな、
と気付いたのでした。

そんなふうに、それぞれの人が、
自分のハッピーをしっかり考えて、
それをみんなと共有できることを願うようになれば、
世の中暮らしやすくなるんじゃないかなあ、
ということを、今年の中学生たちにお話ししました。

子育てだって、もちろん
子どもをしっかり見ることは大切だけど、
「この子の好きなものごと」の前に
「自分の好きなものごと」があっていいと思うんです。

たとえば絵本だって、

「この子はどんなのが好きなのかしらん」と探るより、
「わたしコレ好き♡」と感じるものを、
その思いをたっぷり込めて読んであげればいいと思うんです。

料理だって、ダンナの好みをうかがわなくったって、
自分がコレおいしい、好き!って思えるものを、
わくわくしながら作ったほうが、
おいしくできると思うんです。

自分を抜きにして、相手に合わせるのではなく、
先ずは自分がやりたいこと、伝えたいこと、
自分がハッピーだと感じられることがあって、
それを使って、相手にハッピーをプレゼントできる方法を考える。
そのためには自分の感性やスキルを
どんどん磨かなきゃいけない。

ある意味厳しくもあるのだけど、
生きるって、そういうことじゃないかしらん。