子育てコラム(44)「enough to live on」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2019年5月

 b-Cafe店主カワムラです。

 新しい料理を試みるために、調理法や食材について調べていると、こだわればこだわるほど、いくらでも複雑になっていって、イヤになることがあります。

 子育てについて学んでいても、心理学や教育学の分野は広大で、自分の知識のちっぽけさを思うと、心もとなくて逃げ出したくなります。

 より良くなってゆこう、前へ進んでゆこう、という向上心は大切だとは思うのですが、いつもいつも「まだ足りない。もっと、もっと」なんて考えていると、気が休まるときがなくて、いつか心が枯れてしまうのではないかと思うんです。

 行ったことのない場所、食べたことのないもの、持っていないもの、できないこと、知らないこと。

いくらでも数珠つなぎに情報が得られるネットは、便利ではあるけれど、無防備に使っていると、ぼくらを不安にする「足りないものリスト」になってしまいます。

 しばらく前、ウカウカとSNSを眺めていて「足りないもの」に溺れそうになったとき、「もういい。生きていくのに必要なだけあればいいじゃん、うわぁ」と開き直ってみたら、気持ちがぽっかり軽くなったんです。

 足りないものばかりを探して暮らすのって、自分で地獄を作り出してるようなものだもの。自分で自分をしんどくするなんて、バカバカしい。

 英語の「enough(イナフ)」という単語は「十分」と訳されるのですが、これは、「たっぷり」とか「たくさん」というより、「ある目的を果たすのに最低限必要な数量や程度」というニュアンスで用いられるようです。

 ヒマと時間を持て余している大金持ちは別として、ぼくらはまず何より「生きてゆく」ことが最優先です。
それなら、持ち物や知識や能力だって「生きてゆく」のに必要十分なだけあればいいじゃん。

盲目的に「もっと、もっと」と求め続けて苦しくなるより、いま持っているものを最大限に活かしてできることを考える方がずっと建設的なんじゃない?

  *

 このことを子育てに当てはめると。
 ぼくらは「この子のため」と言って、子ども達に習い事をさせたり、「できないこと」に目をやって、少しでもたくさんのスキルを身につけさせようとするけれど、それって、よほど自覚しないと、キリがなくなると思うんです。

 もちろん、子どもがやりたいことの応援をするのはかまわないと思うのだけれど、親の安心のために、子どもに足りないものを見つけて埋め合わせようとしていたら、親と同じ地獄に子どもを引きずり込むことになりかねない。

 それよりも、いま、ここにいるこの子を見て、この子が持っているもの、この子が育ってきたプロセスを思い返し、この子のオリジナルな可能性を信じてあげよう。

 かぼそく泣くことしかできない、ほやほやのベイビーでも、ママやパパを、あふれそうな幸せで満たすのに十分だったんだもの。
その子が健やかに育って、今朝も目を覚まして機嫌よく傍にいてくれるんだもの。

 足りないものを数え上げるのではなく、今まで生きてきたきみはもうこのままで十分って、わかりやすく伝えてあげよう。