子育てコラム(46)「ままならないという学び」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2019年7月

 「子育て」って何だろう?という問いにはたくさんの答えがあるのだけれど、ぼくはまず「ままならないということを学ぶ修練」だと思っています。

 人はわがままに生まれて、わがままに育ってゆくのですが、いつかそのわがままが通じない壁にぶち当たります。
それが不幸というわけではなく、むしろ当然のことで、そうやってガツンゴチンと頭をぶつけてゆく中で、自分以外の、多様な視点や価値観があるのだ、ということを知ってゆくのだと思います。

 その頭打ち体験の極みが子育てなんじゃないかと思うんです。

 合わない友だちとは離れればいいし、居心地の悪い家からも出て行けばいい。趣味じゃない服は着なけりゃいいし、馴染めない仕事は辞めればいい。

 だけど子どもは授かったら最後、逃げようがない。

 そして自分ならきっと良い親になれる、この子はいい子に育つ、という自信なんか、たちどころに砕け散って、「どもならん、なんともならん」わが子の前でため息をつく。

 そんなものだと思うんです、子育てって。

 そもそも自分と子どもという別々のイキモノが別々の人生を歩んでるんだから、子どもが自分の思い通りになるわけなんてないし、むしろなってはいけない。

 逃げられない関係性の中で、何とか子どもを理解しようとしたり、思いを伝え合ったり、妥協点を探ったりする努力の中で、人はゆたかに成長してゆくのだと思います。

 だから、ままならない、ということを無理矢理にでも学ばせてくれる子育ては、神様が与えてくれた、チョー貴重なチャンス。だから、子育てが大変なのは大前提。

 なだらかな平原を抜ける快適な一本道を、道なりにトコトコ歩きました、という一生より、坂道トンネル草っぱら一本橋にデコボコじゃりみちクモの巣くぐってくだりみち、という人生の方がずっと楽しいでしょう?
 途中でクマとかオバケが出てくる方が断然盛りあがる。

 だからね、ナニコレこのわけのわからないイキモノは?うぎゃあ!☆△ってなったときは、ああ、ワタシの人生盛りあがってる♡って思えばいいんです。

 ひと山越えてもまた次の難題が出てくるんです。いっぱい出てきます。

 ウチの兄ちゃん中三、いちおう受験生のはずなんですが、こないだもらって来た通信簿を見てびっくり、ヤル気もガンバリも自覚もあったもんじゃない。

 懇談帰りの母親があまりにケチョンケッチョンに兄ちゃんを叱り飛ばすもんだから、ぼくはしずめ役に回ったのだけど、次の日になるとぼくの方が腹が立ってきて、あんだけ話したやんか、勉強にもつき合ったじゃん、このごろ頑張ってる、なんて調子いいことぶっこいてたくせに、何だよこの結果は!と怒鳴り散らしたくなるところを、「おお、おれの人生盛りあがってるぅ♡」って、青スジ立てながら自分をなだめているところです。

 もうひとり、わけわかんない、ままならないといえばツレアイですよね。あれってね、ヒトが生き物として多様な子孫を残すため、パートナーを選ぶとき、本能的に自分とは真逆のタイプを選ぶのよ、って黒川伊保子さんが言ってました。  選んだのなら仕方ない。

 ままならないヤツらと悪戦苦闘するのが人生なのか、と思うと悲壮な感じになってくるけれど、相手からしたら、こっちだって、わけのわかんない、ままならないヤツの一人なんです。
 絶対に正しいこと、なんてめったに無いですからね。

 そんな者どうし、縁あって家族として一緒に暮らしてるんだよなあ、って、少しだけ高みから眺めてみたら、そんなハチャメチャが何とも楽しく、いとしくなってくると思いませんか?

 それに「愛」ってね、そうやって、受け容れがたいもの、理解しがたいものに歩み寄ろうとするもがき果てに、見えてくるものなのだと思うんです。

 腹くくって、エンジョイしましょ。

 夏休み、がんばりましょうね。