子育てコラム(51)「与えるというしああせ」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2019年12月

b-Cafe店主カワムラです。

 店の帰りに、近年よくお世話になっている「ワークマン」に立ち寄ったら、良い感じの綿のアノラックパーカーを見つけ、例によってお手頃お値段だったので、深い紺色のをゲットして帰りました。

 帰宅後ウキウキしながら取り出して、中三の兄ちゃんに「コレどうよ?」と見せたら、「ええなあ、着るわ」って。 

 「いやいやいやいや、君のとちゃうねん」と言いそうになったのだけれど、えり好みの細かい思春期兄ちゃんが、めずらしく「ええなあ」なんて言うので、「あら、よかった。どーぞ」とお譲りすることに(T_T)

 その晩、食事の片づけを終えて、一服しようとコーヒーを入れたのですが、受験勉強をしている兄ちゃんに「コーヒー飲む?」と尋ねてみたら、「飲むわ」と言うので、自分用に入れたそのコーヒーを「どーぞー」と差し出したのでした。

 「コイツ、いろいろ持って行くヤツやなあ」と内心思うのだけれど、悪い気はしていない。喜んだり受け取ったりしてくれることを、うれしくも思ってるんですよね。

  *

 親になるということは「与える」ということを学ぶことなのかも、って思うんです。

 初めて子どもを授かったときなど、自分の時間や生活のほとんどをもぎ取られるように感じなかったでしょうか。

 けれど「奪われた」なんて思わず、むしろ、世話をできることがうれしくて仕方ない。これを味わうために、望んで親になったんですからね。

 あの、最初のころのウキウキの親の気持ちの中に、人としてのしあわせのヒントがあるように思うんです。

 ぼくが学んでいるアドラー心理学では、人は人との関係の中で人となり、人との関わりの中に自分の居場所を見つけるのが、人としての根本的な欲求だと考えます。

 そして、その居場所を実感するために重要な要素のひとつが「貢献感」だと言います。
 「私はここにいて、役立つことができる。」という感覚です。

 ただしこれは、自分のことを考えず、自分を投げ出せばいい、ということではないんです。むしろ真正面から自分に向き合って、どうすれば、自分が持つ能力や適性を最大に活かして、世の中に貢献できるだろうか、というのを考えながら暮らすのが、人としての健全なあり方だと思います。

  *

 誰にも求められない人生って空しいと思いませんか。その点、子育て中はもう求められっぱなし。 後追いの頃なんか、ハイハイで、泣きながらでもどこまでも追いかけてくる(^^)休みなしではしんどいけれど、最強のモテ期です。

 子育てって、そうやって、与えるということによって、失うのではなく、むしろ自分の拠り所を得ることができるのだ、ということを知るためのレッスンなのではないかしら。

 与えることによって、自分がすでに与えられているもの、自分の中にある仏性とか神性とかいうようなものに気付くのだ、とも言えます。

 子育ての中で「与える」ということを学び、それが子ども以外の家族、家族以外の周囲の人たちに対しても広がってゆけば、社会がやさしくなってゆくと思うんです。

 求めるよりも、与えるということの中にこそ、人生のしあわせがひそんでいるのだと思います。

 子育てはレッスンです。
 でも決してつらい修行ではありません。むしろ、ぼくたちがしあわせに生きる道を知るためのヒントに満ちた、わくわくの学びの場なんです。
 このチャンスを与えられたことに対する感謝を、何度も思い出しましょう。