子育てコラム(63)「なんでもない日おめでとう」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2021年3月

b-Cafe店主カワムラです。


 次男が小学校の卒業を迎えました。

 昨年末、彼が、クラスで卒業までのカウントダウンカレンダーを作ったと言うのを聞いて、3学期なんてすぐに終わってしまうんだろうなあ、と思っていたら、じっさい、あっという間にこの日が来てしまいました。

 子どもたちが小学生の間、朝一緒に家を出て、自転車を押しながら学校までおしゃべりしながら歩いて、校門で別れてから店に向かう、という「登校散歩」を続けてきました。

 さいごの登校日だった昨日の朝、彼と一緒に歩きながら、とうとうこの日々もおしまいになるのか、としみじみしながら、春夏秋冬、雨の日も風の日も、ほとんど休むこともなく学校に通い続けた次男はがんばったよなあ、すばらしいなあ、嬉しいなあ、彼がこうやって、彼の人生をこつこつと歩み続けてくれたなら、もうそれでじゅうぶんだよなあ、というような気持ちがあふれてきました。

 そして今日の晴れの日。たくさんの方達の祝福のなか、子どもたちはきらきらかがやいていて、ぼくは夢中でシャッターを切り続けたのでした。

 この思いは、子どもたちが生まれた日に味わった感覚に似ています。

 生まれてきてくれたことが嬉しい、息をしているのがすごい、かぼそい泣き声がうつくしい、と感じるような、ただ存在してくれていることへの感謝、感動。

 子どもが大きな節目を迎えたとき、ぼくらそのことを思い出して、盛大にお祝いしたり、涙ぐんだりするのですが、実はふつうの日々を過ごす子だって、お誕生日の子と同じように、毎日お祝いされてもいいと思うんです。

 生身の人である限り、ぼくらはみんな明日をも知れぬ身です。たとえ不意に命が尽きることがなかったとしても、人はみんな旅の終わりに向かっています。年越しの数十秒でなくても、ぼくらはいつでもカウントダウンの中にいるんです。

 人の交わりというのは、はかない命と命が、ほんのひととき、触れ合い、すれ違ってゆくようなものなのかもしれません。

 あわただしい現実生活の中では、日々を乗り切ってゆくだけでも精一杯で、つい雑になってしまいがちなのだけれど、今日はかけがえのない今日で、今日のこの子はかけがえのない今日のこの子なのだし、今日のぼくらももちろん、かけがえのない今日のぼくらなのだということを、何度も何度も思い出しましょう。

 そして、さりげない毎日を、それぞれの今日をいつくしみましょう。

 生まれてきた日のように、あるいはさいごの日のように。