子育てコラム(79)「君が夏を走らせる」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2022年8月

 b-Cafe店主カワムラです。

 夏休み前、本屋に行ったら、高校生向けの読書感想文の課題図書に、ぼくの好きな作家の1人である、瀬尾まいこさんの本が選ばれているのを知りました。青い表紙がきれいだったので、思わず「その扉をたたく音」というその本を、買ってしまいました。

 そこからのつながりで、共通する人物が登場する本をさらに二冊読んだのですが、そのうちの一冊が、格別にすてきだったのです。

 中二の次男が、うんうん言いながら夏休みの読書感想文を書いているので、ぼくも便乗して、宿題でない感想文を書いてみます。

 「君が夏を走らせる」という、8月に読むのにぴったりなタイトルの本です。

 「底辺校」の高校2年生16才、元ヤンキーの金髪ピアス男子「太田君」が、1ヶ月間、朝から夕方まで、1歳10ヶ月の女の子の世話をするアルバイトを引き受けることになった、というお話です。

 「鈴香」というその子は、やはり元ヤンキーの、高校の先輩の娘です。

 第二子の出産を控えた先輩の奥さんが、切迫早産のため急きょ入院することとなりました。駆け落ち同然で結婚した2人には、頼れる身内もおらず、小さな会社に勤める先輩は仕事を休むことができないので、夏休みを迎える後輩、太田君に白羽の矢が立ったのでした。

 太田君は、とんでもない、自分なんかに務まるはずがない、俺っすよ、俺、と断ろうとしたのですが、「お前しかいないんだ」と頼み込まれ、押し切られてしまいます。

 土日祝日を除く平日、朝、先輩が仕事に出かける頃から、夕方帰ってくるまで。テスト休みに入った7月上旬から、突然の保育士生活が始まります。

 初日は、自分と知らないお兄ちゃんを置いて、パパとママが2人で病院に出かけてしまうので、そりゃ大泣き。

 太田君は「やいやいやい」と叫びながら、涙とよだれと鼻水まみれになりながら、ごろごろ転げまわり、床に頭を打ち付けて泣き続ける鈴香をオロオロと見ているだけでした。

 翌日もそんなだったのですが、3日目の鈴香は20分ほどで泣き止み、突然ままごと遊びを始めます。プライパンで野菜に続いて、ゾウを炒め始めたので、それはないだろう、と取り上げたらまた泣かせてしまいました。けれど、そんなものより、これどうよ?と太田くんが思い付きで生米をひとつかみ、フライパンに入れてあげると、鈴香は目を輝かせて、お米の動きや音に大喜びしたのでした。

 そこから、太田君の工夫と奮闘の日々が始まります。

 レトルトの離乳食を食べようとしない鈴香のために、薄味のチャーハンを作ってあげたり、絵本や積み木を買ってきたり。ままごと用に用意した、いろいろな色や形のマカロニも、とても喜んでもらえました。

 太田君はいつしか、とうてい無理と思っていた保育アルバイトに、心身ともに、のめり込んでゆきます。オフの日には、鈴香が食べてくれそうな昼食の試作に明け暮れるほどの打ち込みようです。

 ここまでできる高校生っているかしら?と思いながらも、自分の子育てを重ねながら、太田君を応援したいような気持ちになりました。

 作者である瀬尾まいこさんは、この作品を発表する2、3年前に女の子を出産しています。鈴香の息づかいや汗ばんでぺたぺたした肌触りが伝わってくるような、リアルな描写には、ご自身の子育てでの経験が反映されているのだと思います。

  *

 太田くんは、中三のときに一念発起して受験勉強に取り組んだのですが、うまく実を結ぶことなく、落ちこぼれの受け皿と言われる高校に進学し、やり場のない空しさを抱えながら学校生活を過ごしていました。

 そもそも太田君が受験勉強をがんばろうと思えたのは、やはり中三のときに、学校対抗の駅伝大会のチームに引っ張り込まれたことがきっかけでした。そこで、何かに向かって力を尽くす、ということの喜びを知ってしまったのでした。

 無気力ですさんだ環境の中でもがいていた、そんな太田くんの毎日に、鈴香と過ごす時間、という光が差し込んできたのでした。

 アルバイトが残り3日になった日、午睡をしている鈴香の寝顔を見ながら、

「どうしようもない俺に意味がもたらされていくようだった。鈴香といれば、やりきれない間伸びした毎日が、色づいてくように思えた。」

という感慨を洩らします。

 鈴香と過ごしたひと月は、いつの間にかかけがえのない宝物のような日々となっていたのでした。

  *

 この本を読んでいる間、ひたすら幸せな時間にひたっていました。

 我が子が小さかった頃の日々を、愛しく思い出しました。そして太田君のアルバイトは終わってしまったけれど、ぼくの子どもとの日々は今もまだ終わらずに続いているのだ、ということに、しみじみと感謝を覚えました。

 太田君は「どうしようもない俺に意味がもたらされていくようだった」と感じたのですが、実は、ぼくら大人だって、未だに自分の人生の意味を求め続けているのではないでしょうか。

 「何のために生まれて何をして生きるのか♪」は、どこまでも続くぼくらの宿題なのですが、「自分」へのこだわりから離れて、自分を必要としている誰かに向かうとき、そして自分が差し出したものを受け止めてもらえたとき、たとえ意味がわからなくても、生きることの喜びが立ち上がってくるように思います。

 子どもはまさに、私を求め、受け止めてくれる存在です。

 もちろん子育てなんて、めんどくさくてしんどくてわからないことばかりの重労働です。けれどそこに散りばめられた、かけがえのない宝物を、改めて思い出させてくれる一冊でした。

 「君が夏を走らせる」、機会のあるときに、手に取っていただければさいわいです。