☆店主カワムラの子育てコラム☆
毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。
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2026年7月
夏休みが始まりましたね。
今年は、昨年ほどでもないのかな、と油断していたら、突然めちゃくちゃ暑くなったし。
子どもたち、いっぱい遊んで楽しんでね。
そしてママたち、パパたち、何とかがんばってください。疲れ果てたときは、どうぞb-Cafeに、グッタリしにきてくださいね(^^)
先日、長男が22才になりました。
もうとっくに成人だし、まもなく学生生活も終わって社会に出てゆくという年頃なので、改めてとやかく言うつもりはないのですが、ともかくも、機嫌良く暮らしていってほしいなあと願っています。
機嫌良く、と言っても、ただ楽しいこと、気持ちいいことをして過ごすということではなく、うまくいかないとき、しんどいときでも、その状況になんとか立ち向かって、もがき続けることをやめず、そういう自分を肯定的に受け止めることができる人でいてほしいと思っています。
長男には、これまで何度か「君の人生は君のものだからね」ということを伝えてきました。
これには、君の人生は君のものなのだから、どう生きるかは君が決めればいい、ということに加え、君の人生を生きることができるのは君だけだ、だから君は責任を持って君の人生を引き受けて、大切に守り抜かねばならない、という意味も込めています。
自分の人生をちゃんと生きる、ということは、ぼく自身の暮らし方の基本方針でもあり、折りに触れ、そうだったそうだったと思い返しています。
意識的に「自分の人生を生きる」というのは、とても厳しいしめんどくさいことなのですが、実はそこに深い救いや希望がひそんでいるのでは、と思っています。
自分を生きるためには、自分を知ることが欠かせないし、自分のウソを見抜くことも必要です。自分のイケているところにも、そうでないところにも、しっかり向き合ったうえで、そんな自分をまるっと受け止めて、こんな自分で生きてゆこうという覚悟ができたら、ずいぶんしぶとく生き抜いていけるのかも、と思っています。
もちろん言うのは簡単だけれど、実際に100パーセントそんなふうに生きるのはとても難しいと思います。けれど、そこを目指して暮らすことはできます。
つい先日、NHKの朝のバラエティに、作家の西加奈子さんが出演していて、ご自身の乳がん体験を通じて気づいたことについて語っていらっしゃいました。
カナダ滞在中にがんが見つかり、コロナ禍で帰国もままならず、その地で治療を受けることになりました。その過程で、彼女は女性の特徴である器官を失うことになったのですが、それを決断したのは彼女自身でした。ドクターから「あなたの体のボスはあなただから、決めるのはあなただよ」と告げられたそうです。
その結果、治療して体の中も外も変わったけれど、それでも自分は何も変わっていないということに気づいたそうです。たとえ、作家として作品が書けなくなり、他者からの評価がもらえなくなったとしても、自分は自分だし、そもそも自分がどうありたいかは自分が決めるものなのだ、とも。
彼女の壮絶な体験を15分ほどのコーナーを見て分かった気になるのは失礼なことだとは思うのですが、この「決める」というのは、ものすごいキーワードだと思うんです。
ぼくが学びを続けているアドラー心理学には、人は、あらがいようのない何らかの「原因」によって突き動かされているのではなく、自分が定めた何らかの「目的」に向かって行動しているのだ、という考え方があります。
たとえば、働こうとしないのは、さまざまな要因があって、そのために働けないのだ、と捉えるのではなく、人と交わることが怖くて、家にいることを決めている、それを正当化するために、さまざまな「致し方ない」と思ってもらえるような理由を探して訴えているのだ、と考えます。
「致し方ない」原因に身を委ねて、呪われた人生を嘆いている方が、ある意味楽なのですが、それでは自分の人生を生きられないし、機嫌よく幸せに暮らすこともできません。
私が決めている、となると、自分が責任を持つことになってしまうのでしんどいのですが、逆に言えば、自分が決めているのであれば、自分の決心によって、違う方向に向かうこともできます。何ものかにそう生かされているのではなく、どう生きるか、自分で決めることができる、ということです。
決めるのはしんどいしめんどくさいけれど、それによって、最後の切り札を自分の手の内に持つことができるんです。
生まれてきた赤ちゃんは周囲の人たちに完全に守られて育ち、大きくなってからも、ママやパパ、先生たちが決めてくれたことを守っていれば、「いい子」でいられます。でも、ごく短い子どもの時間が過ぎたら、彼らは自分で「どうあるのか」を決めてゆかねばばなりません。
何となく、でも暮らしてゆけるし、わざわざややこしいことを考えなくても、世にはヒマをつぶすためのエンタメが溢れ返っているのですが、逃げようのない危機に陥ったり、大きな選択を迫られたとき、そこに立ち向かえる人であって欲しいと思います。
どれがいいのか、たった一つの正解はないのですが、自分の意思で選ぶことはできます。その答えを握りしめて、わくわくハラハラどきどきしながら、自分の人生を歩いていってほしいと思います。