「夏に泳ぐ緑のクジラ」

まだまだ外出を控える方が多いのか、のんびりした日が続くのはあまりありがたくないのだけれど、合間に本を読む時間が取れるのはうれしい。

この頃、松阪市在住の作家、村上しいこさんの本を、集中的に読んでいる。
「れいぞうこのなつやすみ」とか「かめきちのおまかせ自由研究」といった幼年童話から「ねこなんかいなきゃよかった」とか「だいすきひゃっかい」といった絵本、さらに「うたうとは小さないのちひろいあげ」とか「ダッシュ」といった、中高生くらいを対象とした小説まで、びっくりするくらい幅広く作品を生み出している。

そんな、しいこさんの「夏に泳ぐ緑のクジラ」という本を読んで、びっくり。ほんわかファンタジーかと思っていたら、真逆のハードボイルドだった。

突然家族が崩壊して、母と娘は、母の郷里に向かう。海の向こうにある孤島なのだが、そこには人々の温かい暮らしがあるわけではなく、理解のある優しいおばあちゃんも登場しない。子どもにだけ見えるというあやかしは、無垢な精霊なんかとはほど遠く、むしろ子どもを闇にひきずり込みそうな危うさを感じさせる。
かわいそうな主人公がふんわりと癒やされる、ということはなくて、むしろリアリティに直面させられる場面が続く。

ある意味しんどい本だと思う。けれど、安易に慰められるのではなく、自分の人生に責任を持って、困難を乗り越えてこそ、前に進めるし、オリジナルな自分のしあわせというものを見つけられるのだと思う。

容赦がないなあと思える厳しい筆致なのだけれど、その分、ごまかしではない、救いへの願いが込められているように思う。

この本は、終盤で島の運転手さんが、主人公にぽそりと語ることばのために書かれたのかなあ、と思ったのだった。

「そうやけどおじさんは、絶望するのがいかんとは思っとらん。絶望もいつかは、希望の下書きになるはずや。いつか、ああ、自分のしあわせは、これやったんやって思うものが、現れる。せやけ、あせらんと、自分なりのしあわせを探したらええ。だれかのしあわせに似たものを探そうとしたら、必ず傷つくけ。お京ちゃんにはお京ちゃんのしあわせが、きっとあるけぃ」

「絶望もいつかは、希望の下書きになる」。お守りのような言葉だと思う。