子育てコラム(60)「死は約束、生はプレゼント」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2020年12月

b-Cafe店主カワムラです。

 先日、小学校3〜6年生の子どもたちに、絵本の読み聞かせをする機会がありました。「死神さんとアヒルさん」という絵本です。

 ある日、年老いたアヒルさんが背後にだれかの気配を感じます。そこに立っていたのは死神でした。死神と言っても、ガイコツの顔ではあるけれど、可愛らしい服を着たきゃしゃな女の子です。

 死神さんは、アヒルさんを迎えに来た、というわけではなく、アヒルさんが生まれたときからずっとそばにいて、「その時」が来るのを待っていたのだ、と言います。

 気味悪さを感じながらも、おしゃべり好きのアヒルさんは死神さんと言葉を交わすうちに次第に打ちとけ、やがて来る自分の死に向き合ってゆくようになります。

 やがて死神さんに看取られ、アヒルさんは旅立ってゆきます。
 美しい絵で淡々と綴られた物語です。

 絵本を閉じてから、子どもたちにこんな話をしました。

  *

 「死ぬ」ってどういうことなんだろう?

 子どもの頃から考えていて、大人になってもまだわからないんだけど、確かに言えることは「みんな必ずいつか死ぬ」ということ。

 つまり、生きていてどんなに苦しいことがあっても、逆にどれだけしあわせいっぱいでも、必ず終わりがある、ということ。

 「死ぬ」って怖いことのように感じるかもしれないけれど、こんなふうに考えると、実は「死」って、神さまから、誰にでも公平に与えられた「約束」のようなものではないだろうか。
 「だいじょうぶ、永遠に続くわけじゃない、最後にはちゃんと死ねるからね」って。

 そんなふうに考えると、「死」というのは、ぼくら人生のところどころに空いた暗い穴の底から、ぼくらを引きずり込もうと待ちかまえている恐ろしいものなのではなく、この絵本の「死神さん」みたいに、いつでもぼくらすぐそばにいて、ぼくらが生きるのを見守ってくれているのかも。

  *

 「死」が怖いものではないとしたら、では「生きる」って何なのだろう?

 それについても、子どもの頃から考えてきたけれど、これも大人になってもやっぱりわからない。
 生きる意味ってなに? なんのために生きるの?

 という問いの答えはわからないのだけれど、この頃は、たぶん、意味があるとすれば「生きる」ことそのものに、意味があるのではないかと思うようになりました。

 そう考えると「生きる」という時間は、神さまがみんなに与えてくれた「プレゼント」のようなものなのではないかと思えます。

 生まれてから死ぬまでの、人生という時間をあなたにあげよう。 ここには、たくさんのチャレンジと宝物が詰まっているよ。 この時間を自由に使えばいい。この中でめいっぱい遊んでごらん。 大成功したって、大失敗したってだいじょうぶ、最後にはちゃんと死ねるから、って。

 もちろん「死」が良いものだと言っているわけではなくて、せっかく「生きる」時間が与えられたのだから、その間は、めいっぱい、何ができるかを考えて、動いてみよう。

 「死」は約束、「生」はプレゼント。 そんなふうに考えると、生きるということを、いくぶんシンプルに捉えることができるかもしれません。

  *

 子どもたちに伝えた話ですが、これは自分自身にあてたエールでもあります。

 年明けからの騒ぎが今も続いていて、たくさんのものが奪われてしまった一年ではありますが、すでに与えられている、かけがえのないものもたくさんあります。

 失くしたもの、足りないものを嘆く前に、ずっと前から届いているプレゼントを思い出しましょう。
 いつだって、今ここからできることを始めればいい。 いつだって、それだけしかない。