☆店主カワムラの子育てコラム☆
毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。
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2021年1月
b-Cafe店主カワムラです。
相変わらず続いているこの騒ぎですが、先日、国内最初の患者が確認されてから1年が経った、という報道がありました。
ラジオのニュースでは、「感染拡大に歯止めがかかりません」という台詞が毎朝繰り返されています。
一方で「こんなときだからこそ」という表現もあふれていて、なんとか前向きでいよう、というメッセージがそこいら中から聞こえてきます。
そんな中、正月が明けた頃、なんだか気持ちが弱くなっている自分に気がつきました。どうしたのかな、と考えて思い当たったのは、自分を奮い立たせることにくたびれているのではないか、ということです。
くじけてしまってはいけない、希望を捨ててはいけないと自分に言い聞かせながら、思い悩み過ぎないようにしてきたけれど、そういう自分を保つためには、自分が思う以上にエネルギーが必要で、じわじわと消耗してきたのかもしれない。
そんなふうに感じている人、あるいはそのことに気づかないまま、落ち込んでいる人が、実はいま、たくさんいるのではないかと思い当たったのでした。
前向きでいることは大切だと思います。だけど、自分の状態に思いをやらないまま、無理にがんばり過ぎてはいけないのかも。
*
くたびれているのかもなあ、と気づいた晩、用事を済ませてから寝室に入ると、先にベッドに入っていた次男が寝ていました。
ぼくも布団にもぐり込んで、もそもそと次男の手を探して触れたら、まだ起きていたようで、ぼくの冷たい手を握ってくれました。
おっさんと小6男子が手を繋いで寝るのも気恥ずかしいな、と思っていたら、次男がごそごそ手を動かして、ぼくを相手に指ずもうを始めました。
うとうとしながら、少しの間そうやって遊んで、やがて手をほどいて、眠りにつきました。
ただの気まぐれだったのかもしれないけれど、次男がぼくをいたわってくれた気がして、ずいぶん気持ちが救われました。
翌朝は、厳しい冷え込みをもたらした寒波が去った、明るく穏やかな朝でした。まぶしいお日さまに向かって自転車をこいでいると、
「いろいろあるけどさ、やっぱり日々のしあわせをつみ重ねていけばいいんだよな」
という言葉が浮かんできました。
不安や心配ごとは消えない。
だけど、そればかりに気持ちを奪われてしまってはいけない。
いま、ここで生かされいるということ、寄り添ってくれる人がいて、ともかくも日常が送れているということに感謝して、そこに詰まっているたくさんの小さなしあわせに気づく感性を磨いておかなきゃね、って。
*
さいごに、本の一節を紹介します。
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「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。」
(『それでも人生にイエスと言う』
(ヴィクトール・エミール・フランクル, 山田 邦男;松田 美佳 著)より)
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ちょっと難しいのですが、与えられるものに期待するのではなく、自分の意思で生きて人生を創造してゆくのだよ、というようなことだと思います。厳しい生き方ではありますが、ぼくはこの言葉に深い救いを感じます。
とはいえ、がんばり過ぎないで。
くたびれたときは、b-Cafeでお待ちしております(^^) お話、聞かせてください。