子育てコラム(73)「明るいほうへ」

2022年2月

b-Cafe店主カワムラです。

 先日、お誕生日を迎えました。

 その前の晩、床についてから、自分はもう、中年というより、「初老」に近いのかしら、だとしたら人生はもう後半なのかしら、いやいや「人生100年時代」とか言うから、まだ折り返したところなのかしら、なんて、うとうとしながら考えていました。

 80年にせよ100年にせよ、人生は必ず終わりを迎える。生まれて死んでまた生まれて死んで。

 これって一体何なんだろう、ということを、人々は、人が人となって以来、問い続けてきたのだと思います。そんな壮大な問いに、ぼくが答えられるとは、到底思えません。

 けれど、終わりの時が来れば、すべてを置いて去るしかないのだから、この世に何を積み上げたかということには、あまり意味がないのだろう、とは思っています。

 そして今は、それよりも「どこに向かって」生きたのか、が大切なのではないか、と思っています。

 ぼくが学び続けている、アドラー心理学での思想の一つとして「目的論」というものがあります。

 これは、人は何らかの過去の原因に突き動かされて生きているのでなく、意識的であるかないかに関わらず、ある「目的」に向かって生きているのだ、という考え方です。

 過去に起こった原因に縛られ続けるのだったら、時間をさかのぼれない限り、人は人生を変えることができない。けれど、未来にある「目的」や、そこに至るための手段は、見直したり、改めたりすることができる。

 ぼくはここに「希望」を見出します。

 いつでもここから、どこに向かうのか、何をするのかを決心することができる。たとえ逆境にあっても、そこにうずくまって嘆くのではなく、そこを出発点として、歩みを続ければいいのだという、しぶとさ、力強さを感じています。

 「目的を持つ」ということは、子育てにも、大きなヒントを与えてくれます。

 日々をやり過ごすだけでじゅうぶん大変な子育てですが、毎日のばたばたと格闘しているうちに「いったい何のためにこんなことをしているんだろう?」と、気持ちが迷子になってしまうことがあるかもしれません。

 アドラー心理学では、子どもたちをこの方向に向かって育てよう、という「子育ての目標」が提案されています。

 それは、子どもが、自分自身について「私は能力がある」「人々は私の仲間だ」と感じられるように、子どもと接し、援助する、ということです。

 「私は能力がある」というのは、私は自分で自分の身の回りのことができ、周囲の人々とコミュニケーションを取って、状況に対処できるし、それらの能力を使って、人々の役に立てる、という感覚です。

 「人々は私の仲間だ」というのは、私は社会の中に居場所があり、私を取り巻く人々は、必要な時には私を助けてくれるし、そんな人々の力になりたい、という感覚です。

 子どもが自分自身のことをそんなふうに捉えることができれば、社会の中でうまく生きてゆけるだろうし、生きていることに喜びを感じるのではないでしょうか。

 人は目的に向かって生きているし、意識的に目的を持つことで、そちらに向かって進んで行くことができる、という考え方によって、生きるということを、大分シンプルに捉えることができるようになった、とぼくは思っています。

 もちろん、日々の出来事への対処で迷うことはたくさんあります。

 けれど「あの明るい方へ歩いてゆこう」と思いながら歩んでいる日々は、間違ってはいないだろうし、どこまで行けるのか、わからないけれど、同じところをぐるぐる回っていることはないだろう、と思っています。