☆店主カワムラの子育てコラム☆
毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。
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2022年3月
b-Cafe店主カワムラです。
年度変わりの季節ですね。
お客様のママたちからも、4月から通う幼稚園や保育園のこと、復職に向けての準備なんかのお話が聞こえてきます。
ウチの子たちは、中一と高二を終えるところで、親子ともどもノンキに過ごしているのですが、間もなく受験生となる兄ちゃんの行く末が、やはり気にはなっています。
そんなところに「〇〇さんちの〇〇くん、〇〇大合格だって」なんて話が耳に入ってくると、家で勉強してるところなんてほとんど見ないウチの兄ちゃんには、とうてい無理だよなあと、ちょっと気持ちがざわざわしてしまいます。そして、違う違う!と首を振って、「よその子と比べたらアカ~ン!」と、自分を叱るのです。
「まず親が、わが子を受け入れやんでどうするねん!」って。
*
人は、しあわせになるために生きているのだと思います。
その「しあわせ」って何なのだろう、ということについても、よく考えなければならないのですが、それ以前にまず、自分の人生を愛していなければ、しあわせに生きることはできないと思います。
「愛する」というのもこれまた深遠なのですが、取りあえずは「いつくしむ」「かけがえのないものとして大切に思う」「受け入れる」というようなところだと思います。
生きていれば、当然いろいろなことがあって、くじけてしまうこともあります。暗い穴のどん底に取り残されたように思うこともります。
けれど、そんなときでも「私の大切な人生」という信念があれば、いつか立ち上がれるし、深い穴から這い上がることができます。
ぼくは、そんな信念こそが、生き抜いてゆくための最後の最強の武器だし、我が子にそれを与えることができれば、親としての勤めを果たしたと言ってもいいだろう、と思っています。
*
そんな信念をつちかうためには、まず誰かに大切にされた、という実感が必要です。その最初の「誰か」が親なのだと思います。最初の、そして最後までの、子どもの味方。
親が受け入れなくて、他の誰がその子を受け入れるんでしょう、ということです。
言葉にするのはかんたんですが、従順で可愛いばかりの子どもなんていないし、他の子と比べて、はがゆく感じてしまうことだってあります。
だから、繰り返し繰り返し「それでも私はこの子の味方だ」って、自分をふるい立たせるんです。我が子の味方でいることに、根拠は要らないんです。そう決意すればいいんです。
*
もう一つ、たぶんこちらの方が大事なのですが、親自身が、自分の人生を大切に生きていること。
「人生って大事やで~」と口先で繰り返すのではなく、じっさい、そんなふうに生きている背中を、子どもに見せてあげることです。
私をおいて、他の誰が私を受け入れるんでしょう、ということです。
これだって、言葉で言うほど簡単なことではないのですが、やはり、根拠はなくても、「私の人生は大事」って、何度も何度も、歯を食いしばって、決意し直すんです。
*
「私の人生は大事」と思えるためのコツがあります。
それは、「私が私の人生を生きる」ということだと、ぼくは思っています。
当然のことのようにも思えますが、これは「私が主人公として、私の人生を私の責任で生きる」ということです。
私に与えられた環境や能力という条件の中で、私にできる限りの力をつくして、私の人生を表現する、ということです。
何かのせいにして、「◯◯だからしかたない」という言い訳で日々を塗りつぶすのではなく、さまざまな制限のあるそれぞれの「いま」をスタートラインとして、ここからできることに取り組んでゆくのが、「私の人生を生きる」ということだと思います。
もちろん、これも言葉では簡単に言い表せても、実際にそのように行動するのは、とても難しいと思います。けれど、繰り返し繰り返し、決意し直して、歯を食いしばって、私自身の人生を選び取ってゆくんです。
楽な生き方ではないけれど、その方がだんぜん楽しい、とも思います。
*
生きてゆく、ということは、たたかいです。
大人はもちろん、子どもたちにとっても。
夢と期待の春にこんな話をするのは、ふさわしくないのかもしれません。
けれど、生きて、暮らしてゆくということは、実際そんなものだ、とぼくは思っています。
けれど、決して悲観しているわけではないんです。
世界には愛と希望があふれています。
ただ、それらは、誰かが届けてくれるのではなく、自分でつかみ取りにゆかねばならない、と思うんです。