子育てコラム(90)「涼しい親」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2023年7月

b-Cafe店主カワムラです。

 「ボビー・フィッシャーを探して」という、古い映画を見ました。

 実在する天才チェスプレイヤーの幼少期を描いた作品です。

 少年ジョシュは、ならず者たちが公園で掛け勝負をやっている場面に出会って以来、チェスの世界に引き込まれていきます。公園で知り合った、柄が悪いけれど人間味溢れる年上の友達に教わって、ジョシュは、めきめきと力をつけてゆきます。

 ジョシュの才能に気づいた父親は、高名な指導者を雇い、ジョシュを師事させます。けれど、その先生が教えるチェスは、公園で行われているのとは正反対で、厳格で理知的なものでした。やがて先生は、公園の人たちとの交流を禁じてしまいます。

 応援してくれるお父さんの期待に応えようとするものの、ジョシュはスランプに陥り、大会で、格下の相手にあっさり負かされてしまいます。

 そんな成り行きを見ていた母親は、先生による指導を中断することを決意し、ジョシュを解放します。

 「チェスだけ」ではない、人間らしい暮らしに戻ったジョシュは、自分のチェスを取り戻し、息を吹き返したように力を発揮して、圧倒的な強敵に、目を輝かせて挑んでゆきます。

 この映画を見て、別の「リトル・ダンサー」という作品のことを思い出しました。

 ボクシング好きの父親にジムに通わされている少年ジミーは、ある時目にしたバレエに心を奪われます。ジミーは、父親に隠れて、バレエのレッスンを受け始めます。ジミーはバレエに夢中になり、コーチもジミーの才能を認めます。

 父親は、息子が強い男になることを望んでいるのですが、ジミー自身は、人を殴ったり倒したりなんてしたくない。それより、身体で美しさを表現することに、どこまでも惹かれているのです。

 ある日、ジミーはバレエの練習をしているところを父親に見つかってしまいます。最初はあぜんとするジミーですが、思い直したように、キュッと唇を引き結び、言い訳はせずに、黙って、父親の前で踊り始めます。「お父さん、見てよ、ぼくがやりたいのはこれなんだ」と訴えるように、激しく、美しく。

 ジミーの熱意に打たれた父親は、ジミーを応援することを決意します。

 どちらにも、前のめりに突っ走りすぎて、我が子本人のことが見えなくなってしまっている父親が登場します。ぼく自身にも、身に覚えがないわけではなく、思い返すと、じんわり汗をかいてしまいます。

 どちらの父親も、決して悪意はない。むしろ、我が子をいっぱしの何者かにしてやるために尽力しているのです。

 でも、この辺りはとても微妙で、子どもに伴走するというより、親の方が先行して、親の望む方に子どもを引っ張ってしまうことも、しばしばあるように思います。

 もちろん、親の方がたくさんのことを知っているし、視野も広いので、時には導いてあげることも必要かもしれません。けれど、それが行き過ぎると自分本位の押し付けになってしまう。ほんとうに、微妙なかげんだなあ、と思います。

 そういうときに、何度も思い出さねばならないのが「子どもの声を聴く」という態度だと思うんです。

 この子は何が好きなんだろう、何を見ているだろう、どんなちからを持っているんだろう、どこに行きたんだろう、ということを探りながら、子どもが身体全体から発する「ことば」に耳を傾けていたいと思います。

 親の理想から差し引きした「じゃない子」をにらみつけるのではなく。

 そもそも、子どもは親とは別の存在で、親は親の、子どもは子どもの人生を歩んでゆくものです。最初の10数年の生活を共有するけれど、その先は別の暮らしが待っているんです。

 そしてたぶん、だいたいの場合、子どもは親の望む通りになんて育ってはくれないんです。むしろ、親の思い通りの子の方があやうい気がします。その子はちゃんと、自分の人生を生きれているんだろうか、って。

 いつも親の視線を気にしているのではなく、親の言うことをちょこちょこつまみ食いしながら、結局は好きなようにやっている、というくらいが、ちょうどいい気がします。

 親は寄り添うもの。なんとか立ち上がり、おぼつかない足取りで歩き始めた子を、つかず離れず見守りながら、必要なときには手を差しのべる。

 べたべたとまとわりつくのではなく、適度な距離を保ちながら、そばを歩いている、「涼しい親」でいたいものですねえ、特に夏はね。