☆店主カワムラの子育てコラム☆
毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。
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2025年10月
もうひと月近く前になるのですが、10月の下旬に、次男が参加した高専ロボコンの観戦に行ってきました。
全国の高専(高等技術専門学校)に通う学生たちが、毎年変わる競技内容に応じてロボットを設計、製作し、発想や性能を競い合うコンテストの近畿地区大会でした。
春に競技内容が発表され、そこからアイデア出し、チーム編成が行われ、製作が始まります。
次男は設計という大きな仕事を任され、悪戦苦闘しながら、覚えたばかりの3D CADで立体図面を作っていました。
以前参加していた中学生ロボコンは個人での挑戦だったのですが、高専ロボコンはチームでの参戦です。
チームは、ざっくり設計(機械)、回路、制御(プログラミング)というパートに分かれているようです。アイデアそのものより、そのチームをいかに上手くマネジメントしてひとつのモノを作り上げるか、というところが勝負どころであるように見えました。
昨年は、チーム運営がうまくゆかず、結局未完成のロボットのまま参戦し、ろくに戦うこともできないまま、悔しい思いをしたようです。
設計ができてもそれを実際に作ってみると思うように動作せず、設計し直す。仲間や顧問の先生との意思疎通も大事。ロボコン参加のための事務手続きに関する書類やデータシートの作成もある。
春から取り掛かり、たちまち迎えた夏休みも、日曜日以外はほとんど学校に出て、朝から晩まで作業をしていました。
10月に入ってもロボットの完成が見えず、思い詰めた顔で帰ってきたり、食事が取れないまま寝てしまう日もありました。
そうやって迎えた大会当日。ロボットは前日にも問題が見つかり、次男は最後の調整をするために、朝早くに会場に向かっていました。
市の体育館を使った会場には、アリーナの中央に競技フィールドが設置されていました。そこで2チームずつが対戦を繰り広げます。リーグ戦を勝ち抜いたチームが、決勝トーナメントに進むことができます。
各校の応援団に見守られる中で迎えた本番。結果としては、決勝に進むことなく、敗退となりました。
それでも、ロボットは設計した通りに動作し、苦労して盛り込んだ機構をアピールすることができていました。
大会全体から見ると、早々に敗退したチームのひとつなのですが、昨年のことを思うと、大きく成長したように感じられました。
次男自身も、重い責任を負いながらも、投げ出すことなく、できることをやっていたように見えました。
結果に関わらず、彼自身も、チームの仲間も、多くのことを学ぶことができたのだろう、と思います。
*
子どもって、みんな育ってゆくものだと思います。
生まれて来て泣くことしかできなかった赤ちゃんが、目を合わせて笑ってくれるようになる。小さな手で、指を握り返してくれる。ママやパパの声に耳を澄ませてくれる。寝返りを覚えたら、腹ばいで大きく胸を反らせ、もっと高く、もっと遠くへ、というように、ずりずりと這い回ったり、机につかまって立ち上がったり。
小さなころの成長は目まぐるしいほどなのですが、その後も子どもはずっと育ち続けます。
おうちで過ごしていた間は、我が子ばかりを見ていたけれど、やがて子どもが集団に入っていくと、他の子達と比べることが多くなります。比べてしまうのは当然のことなのですが、それでも、その子自身の成長を、忘れずにずっと見ていてあげたいと思います。
「なんであの子はできるのに、うちの子は」と感じてしまうこともあるとは思うのですが、「前にはできなかったことを、今は普通にできるようになってるなあ」ということを見逃さず、一緒に喜んであげたいと思うんです。
当たり前だけど、世の中って、みんなが勝者にはなれないですよね。
それなのに「勝たなあかん、勝たんと幸せになれへん」みたいな信念で生きていると、日々の幸せを感じるのが難しくなると思うんです。
勝てなくったって、それとは別のところで、ぜんぜん幸せになれるはずなんです。(勝ち組とか負け組とかいう言い方は大嫌いです)
もちろん「高みを目指す」という努力は尊いし、それがなければ人は成長できないと思います。
けれど、必ずしも、ゴールに辿り着かねばならない、ということはないと思うんです。
お日さまに辿り着くことはできないけれど(燃えちゃうし)、ひかりの差すほうに歩き続ける、そしてその歩みのなかで、過ぎてゆく景色をしっかり味わい、楽しんで、魂に滲みわたらせてゆく、というのが、ぼくとしては、おすすめの人生の使い方です。
そうやって、みんなで少しずつ育ってゆけばいいと思うんです。
子どもが自分自身を見失いそうになったときは、ずっとそばにいた親が、それでもきみは、ここまでちゃんと大きくなって、こんなに遠くまで、自分で歩いて来たんだよ、ということを伝えてあげたい。
親だって、それでも私はここまで来た、って大いに誇ればいいと思います。
一歩一歩、ひかりの差すほうへ。