子育てコラム(43)「はじめるためのおわり」

☆店主カワムラの子育てコラム☆

毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。

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2019年3月

 b-Cafe店主カワムラです。

 昨日は、小学校の卒業式でした。
3月1日が高校、次の週が中学校、今週が小学校、そして来週が保育園や幼稚園の卒園式で、「お別れの季節」まっ盛りです。

 ウチの子たちは小四と中二で、卒業には関係ないのですが、それでも、この空気の中にいると、切ないような、焦るような、取り返しのつかないことになってしまうのではないか、というような、置き場のない気持ちが胸をふさいで、あふれそうになることがあります。

そんなときに、とどめを刺すようにラジオから「なごり雪」なんかが流れてきたりして、もうセンチメンタル全開です。

 そんな調子だから、わが子が関わっていたりしたらもう・・・! 
 「今日が明日に変わるだけで、なんにも変わらないじゃん」ってドライに切り捨てるのは味気ないと思うけれど、湿っぽくなりすぎるのもどうかと思う。
ざわざわしてしまうこの季節と、どうつき合えばいいのか、毎年思案している気がします。

 たぶん、サヨナラばかりが強調されたこの雰囲気にあおられ過ぎなんでしょうね。
ああ、終わってしまう、もうおしまいだ!、みたいな。

 でも、確かに保育園生活だとか学校生活は終わるんだけど、それだけのことで、人生が終わるわけではないんですよね。
終わるわけない。
むしろ、この「おわり」のすぐ後ろには新しい「はじまり」がくっついていて、スタートの合図を待ちかまえている。

 そう考えると、涙なみだの卒業式ではあるけれど、それは「おわり」ではなくて、まだまだ続いてゆく人生のひとつの区切り、通過点に過ぎないのだと思えてきます。

 もちろん、晴れの日なのだから、盛大にお祝いして、思い切り騒げばいい。
でも、感傷的になる必要はない。
よくここまで来たなあ、ということを喜び合って、扉の向こうの新しいステージに胸を躍らせればいいのでしょう。

 *

 人生の区切りが「おわり」ではない、ということは、「ゴール」でもない、ということです。
受験勉強して高校に合格しても、そこからさらに新しい勉強が始まるわけだし、「めでたくゴールイン」なんて言っても、結婚がさまざまな試練の始まりだということは、皆さまもご存じの通り。

 ぼくらはたくさんの節目をくぐって月日を重ねてゆくわけですが、それらの節目は「おわり」でも「ゴール」でもなくて、長い旅の途中で立ち寄った場所を示すしるしのようなものです。

 もしかしたら「死ぬこと」だって、たましいが次の人生を迎えるための通過点でしかないのかもしれません。

 すべてのもの事はうつろってゆくけれど、終わることはない。
終わりがないのなら、ぼくらは何かを目指さねばならないことはないし、どこかにたどり着かねばならないこともない。
ただ淡々と、深く感謝しながら日々を味わえばいいのだ・・・なんて境地にはまだまだ至れないのですが、そんなふうに捉えると、初春のざわざわも、いくぶんやわらぐ気がします。

 ともあれ、ご卒園、ご卒業を迎えた皆さま、おめでとうございます。