☆店主カワムラの子育てコラム☆
毎月発行しているメールマガジに連載している、
店主カワムラにによる子育てコラムのバックナンバーを紹介します。
子育ての中で、父として感じたこと、
学んだことを織り交ぜて書き綴っています。
上から目線でアドバイスと言うよりむしろ、
わが子と向き合いながら、迷ったりうろたえたりしてることを
正直に書いているつもりです。
共感したり、参考にしていただければ、さいわいです。
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2024年4月
b-Cafe店主カワムラです。
年度替わりの頃って、さまざまな別れや出会い、生活の変化なんかがあって、気持ちも揺さぶられがちな季節ですよね。
ぼくも、次男が高校に進学したり、転居があったりでワタワタし通しです。
そんな中で、身内に関して気がかかりなことがあって、一時はそのことで頭がいっぱいになる日が続くこともありました。
(べつに、生きるか死ぬか、というような深刻な問題ではないのですが)
それでもいつも通り仕事は続きます。
そんな中で、お客様とのお話が弾んだり、お子さんが笑いかけてくれたりしたとき、気持ちが緩んで、思わずこちらにも笑みが浮かぶことがありました。
そのときに、心配ごとがあったって、笑ってもいいんだよなあ、って気づいたんです。
近しい誰かが逆境にいるとき、その誰かのことを気に掛けたり、手を差し伸べたりするのは自然なことです。その人の苦しみに寄り添いたいと思うのも当然です。
けれども、それによって、人の苦しみに飲み込まれてしまってはいけないし、人の不幸に合わせて自分も不幸になることはないと思うんです。
人生にはどこまでも、苦しみがついて来ます。
この世というのはそういう場所なのだと、ぼくは思っています。
世界には差別や不公平、暴力が満ちていて、涙が絶えることはない。
けれど、だからと言って、嘆き悲しみうつむいて暮らすしかないのだ、とは決して思いません。
むしろ、そのような世界の中で、ひかりを求め続けるのが、ぼくらの一番大切な仕事なのだと思います。
誰かが不幸だとしても、私は幸せでいてもかまわない。
人の不幸を理由に、私の幸せを求める努力を放棄してはいけない、とも言えます。
そもそも幸せとか不幸せって何なのだろう。
人は幸せを求めるけれど、幸せというものに定義があるわけではなく、それを測る尺度もありません。
幸せって、そういうものが存在するのではなく、人が、そのときの状態に貼り付けるラベルのようなものだと思います。
つまり、自分で決めている、ということです。自分で決めるということは、そのことに対する責任を負わねばならないし、そうであろうとする努力や行動が必要です。
幸せは、誰かが持って来てくれるものではなく、自分で探しに行くものなんです。ちょっとめんどくさいんです。
できるだけ低コストで命を繋いでゆく、というのが生き物の本質だから、ヒトだって本能的にはめんどくさがりやで、少しでも楽に暮らしたい、と願っています。
だから人は、わざわざ幸せ探しをするのはめんどくさいから、いっそ不幸でいいや、と無意識的に思ってしまうことがあります。
私は諸般の事情に翻弄されて幸せになんてなれない、私にできることなんてない、私は何もしなくてもいい、という思いで自分を囲い込んでしまう「かわいそうな私」のワナです。
だけど、ぼくらは楽をするために生まれてきたのではない。そうではなく、この世に灯りをともすために生きてゆくのだと思うんです。
幸せに満ちた世の中を望むなら、幸せを広げてゆきたいと願うなら、まず私が幸せでなければ。
それで、じゃあ幸せって何なの?と問われたら、そこはまだ考え中、としか答えられません。
けれど、今のところは、私が私にできる力を尽くして人に貢献し、そのことによって、人々の中に私の居場所を感じられている、という状態を言うのではないかな、と思っています。
私にできることを考え、行動するというのがカギです。めんどくさいけど。
ぼく自身ががそんなふうに暮らせているかと言えば怪しいのですが、自戒の意味も込めて、そんなふうに考えています。
人が不幸であっても、私は幸せでいていい。
むしろ、より強く、幸せを求めねばならない、と思うんです、私のために、これからの世界を生きる子どもたちのために。